コアラのこころ

日々の出来事と日用品と心の整理

無理したらダメだよ、休んでね

心と体が疲れてまためまいがします。やらなければいけないことを分刻みにこなし、何度も心ない言葉にさらされ、やっとのことで、家に帰り、どっと布団に倒れ込むように寝たとたん、くるくる目が周り始めました。明日からまた雨予報だから気圧の影響もあるのかもしれません。



帰る家があって、空腹でなくて、大病もなく、とてもありがたい、それだけで満ち足りるはずなのに、どうしても心が疲れ、弱くなる。


頑張って、無理を続けて、最期の時がきたら、やっと終わると安堵するのだろうか


頑張るのをやめて、楽に生きたら、後ろめたくなったり、罪悪感を感じたり、結局心が沈むのか


野生動物なら獲物を捕獲できなければ飢え死に、弱いものは死ぬ。目的が空腹を満たすことだけなら心は疲れないのだろうが、先進国の人間はそうはいかず、毎日心が疲弊する。


一人で一日中、家事をしたり、本を読んで、ごろごろして、窓から外を眺めている時が一番幸せで穏やかだ。


仕事に行く日は体調が優れなくても、心が傷ついていても、支度して、殺伐とした満員電車に乗って、会社に着くと1日中PCに向き合いノルマをこなして、気の合わない同僚のトゲのある話を受け止め、そして電車に乗って帰る。を繰り返す。でも、それは自分が決めた生き方で、そんな時間の使い方を選んだ。でもそれはその方が世間体が良く、そうでなければ社会の没落者とでも自分が思い込んだわけで、もし比較対象がなく、周りが全員進学せず一次産業に就いていたらきっとその道に進んでいたわけで。


人は平均的、無難、汎用性の利く生き方を選びがちだ。自分の幸せでなく、社会での安全性を優先する。だからメンタルを崩すまで、大病を患うまで身体を粗末にする。何もわからず、立ち上がれなかったあの頃から、今日まで一生懸命生きて、生きてきた大切な自分を粗末にする。何十年も付き合ってきてあなたの本当の価値を知ってるのは他でもないあなた自身なのに。他人の評価なんて良くても悪くても、所詮何も知らない他人が勝手にいっていること。その人は困っているときにあなたに何をしてくれますか。責任をとってくれますか。あなたは今日という日まで自身の痛みを和らげ、労をねぎらいなんとかかんとかやってきたのです。それを他人の価値観で判別つけられたからといって全く気に留める必要などないのです。その代わりあなたも他人の生き方などこれっぽちも気にする必要はありません。他人を干渉しないように生きることが互いを尊重することにつながります。


そして体を壊して、気を病んでる時は静養しましょう。正当な理由です。それが許されないならそこからは離れましょう。さらに悪化します。また元気になったら働けばいいし、ならなければそれだけ苦役を背負っているのですから代わりに元気なひとが働けばいいのです。それが社会システムの存在意義なのですから。


コアラ